古民家鍼灸院にたどり着くための必須アイテム、「鍼灸あんまマッサージ師」の免許を取得した経緯を書くのをすっかり忘れていました(;^_^A
鍼灸師を目指した、ちょっと残念な理由と、鍼灸師になってからの悲喜こもごもの道のりをご紹介させていただきます。
「父の死」「母の介護生活」からの美しくない鍼灸師志望理由
私は今からウン十年前、和歌山県で生まれました。
家族は両親と姉一人の4人。
父は、私が生まれる前に小さな事業を立ち上げましたが、
私が幼稚園にあがるまでに、事業をたたみ(後から聞いた話)
ちょっとした借金を背負って、
大阪で再起をはかるべくタクシーの運転手になりました。
そのため、私が小学校に上がる少し前に、
家族で大阪で暮らし始めるようになりました。
より効率よく稼げるように、
と毎日15時から朝の3時までという仕事を週に6日間。
それ以外にも時々は工事現場なんかでも働いていたようです。
そんな無理がたたったのか、私が10代の終わり、
その父が59歳で突然亡くなりました。
その数年後、今度は母が、
脳の中で少しずつ大きくなっていたらしい腫瘍が原因で寝たきりに。
22歳から42歳までの20年にわたり
介護生活を送ることになりました。
姉妹二人、
父の代わりに家計を支え、
母の代わりに家事をこなし、
そして母の介護をする
そんな人生を歩んできました。
母の介護生活の中、
姉は介護離職をしました。
20代半ばで、介護離職した姉。
当時、母の治療に来てくれていた
鍼灸の先生が心配し、
在宅ワークも可能な鍼灸師になることを
姉にすすめてくれました。
姉はそのすすめに従い、
鍼灸師になりました。
さらに鍼灸専門学校の教員免許も取得。
鍼灸の「先生」と学校の「先生」と言われる身分に。
当時、高齢者デイサービスに努め介護職として働いていた私は
鍼灸師の資格➕教員資格
まで手に入れた姉が
うらやましくて仕方がありませんでした。
そして
「おねえちゃんだけ先生になるとか、ずるい!
わたしも学校行きたい!」
と、そんな理由で、貯金をはたいて、さらに奨学金も借りて
鍼灸マッサージの専門学校に進学したのでした。
ああ、大人げない…。
ちなみにこの時、夏子、31歳でした。
鍼灸マッサージ師になってからの理想と現実
まぁそんな大人げない理由ではありましたが、
「鍼灸あんまマッサージ指圧師」という国家資格の試験に無事に合格しまして。
卒業後すぐに訪問リハビリマッサージ専門の治療院で働きだしました。
ちなみに「訪問リハビリマッサージ」とは
医療保険を活用し、
患者様に鍼灸やマッサージ、
時には機能訓練(運動のサポート)
なんかもさせていただくお仕事です。
医療保険を活用するため、
患者様の負担は比較的安価ですが、
医療保険を使うには
「関節拘縮(かんせつこうしゅく)・筋麻痺(きんまひ)」
があることが条件。
関節が固まって動かないか、
筋肉が麻痺して動かないこと、
が前提なので、
必然的に患者様は在宅や施設で
介護を受けてらっしゃる高齢者の方に限定されます。
訪問マッサージ師という仕事を選んだ理由は、
専門学校に行く前に働いていた、
高齢者向けのデイサービスでの経験がもとになっています。
そこでは、多くの方に対応するために、
一人一人の方とのコミュニケーションを
丁寧にできませんでした。
そのため、お一人お一人の希望にこたえられらないし、
声の大きい人の意見を聞かざるを得ない
そんな局面にも良く遭遇していました。
訪問マッサージの仕事なら、
確実に一人の方としっかりと向き合い、
その人の希望に寄り添った仕事ができる、
と思ってその仕事を選びました。
最初のころは、
在宅介護されている方に訪問し、
日常生活を何とか自立してすごせるように、
という希望を叶えるために
マッサージや運動のお手伝いを
させていただくことが多く、結構やりがいを感じていたのですが。
高齢化の波におされるように、
徐々に施設に入って介護を受けている、
認知症の方が患者様の大半を占めるようになりました。
施設の生活の中、
褥瘡(じょくそう、と読みます。いわゆる床ずれです)
ができないように、とか
着替えしやすいように、関節を固まらせないため、など
患者様の希望、というよりも、
施設のスタッフさんの希望が先に立ちます。
元気になってもらうため、
ではなく、残された時間、
介護を受けて暮らしていく中で
不都合がおこらないための、施術
そうなると、
患者様自身は
マッサージを受けることを、
楽しみにしてくれている方
ばかりではなくなります。
むしろ力いっぱい抵抗し、拒否。
険しい表情で、厳しい言葉を
投げつけられることもあります。
叩かれる、蹴られる、かみつかれる、
なんて暴力を振るわれることも、
めずらしいことではありません。
嫌がっている患者さんを、
あの手この手で説得し、
なんとか当たり障りのない施術をする
何てこともしばしば。
お仕事を頂いている身で、
こんなことをいうのはだめかもしれないけど、
正直、気持ちは疲弊していきました。
楽しくやりがいが感じられることが
全くなくなったわけではないけれど
このお仕事だけでずーっと働いていくのは
ちょっとしんどいかもしれないなと思いはじめました。
鍼灸師たるものやっぱり東洋医学でしょ!?
というわけで、いつか自分で東洋医学的な治療を提供できるような
治療院を開業できたら、と、
仕事をつづけながら、鍼灸の勉強会に通うようになりました。
しかし東洋医学の世界は思った以上に幅広く、奥深く。
その診察法、診断法、治療の技術の習得は
途方もなく遠い道のりに感じられました。
そしていくら勉強会に通っても、毎日の仕事は
認知症患者さんへの施術。
勉強会で習ったことを実践する機会もなく
3年たっても5年たっても
「よし、これでやっていこう」
と思えるような自信もつかず、
だからといって、勉強会をやめる決心もつかず。
悶々とした時期を、過ごすことになったのでした。
東洋医学が「面白く」なってきた、けど
それでも、東洋医学の勉強をやめること=認知症の方へのリハビリの仕事しかしないという決断をすることもできず、 なんとなく東洋医学の勉強を続けていました。
勉強会の回数を重ね、徐々に、東洋医学のもとになっている「東洋思想」の範疇の学びが入ってくると、東洋医学に対する考え方がすこし変わってきました。
といいつつ、東洋思想について語れるほどの深い知識はないのですが。
浅い知識でがんばって説明してみます。
東洋思想の中に陰陽五行論(いんようごぎょうろん)という考え方があります。
すべての物は「陰と陽」にわけられ、また「木火土金水」の五行(ごぎょう)にわけられるという考え方です。
この陰陽五行論は東洋医学の基礎理論にもなっています。
人間の体や機能はすべて「陰と陽」に分けられ、また「木火土金水」の五行に分けられる、というわけです。
例えばお腹は「陰」背中は「陽」
内臓は肝臓が「木」心臓が「火」脾臓が「土」肺が「金」腎臓が「水」
という感じ。
…なんのこっちゃでしょう?
そう、このなんのこっちゃな理論をもとに治療を施すのが東洋医学なのです。
それゆえに奥が深すぎて、
わからんわー!
とヒステリーを起こし、悶々としがちな私でしたが。
東洋思想の「陰陽五行論」を学んだことにより、
その「陰と陽」「木火土金水」が象徴する事象が、人間の身体だけでなく、植物、動物の営み、国の盛衰、四季のめぐり、自然現象などなど、あらゆることに通じる、ということを学び、「え、なんか、おもしろい!」って思ったんですよね。
あらゆることに通じる=
普遍の真理のシンプルさ、
みたいなものが垣間見えた、と言いますか。
もともと生き物・自然が好きだった、というのも大きな要因ですね。
その普遍のシンプルさでとらえると、体の中で問題を引き起こしている病気や症状もこんな感じでとらえることができるのです。
たとえば鼻水が止まらない事は、本来おしっこや汗として出すはずのものが、鼻からでてきている=下水管が詰まり、マンホールから水が吹き出してくる事象と同じ、ということや。
また皮膚にぶつぶつができてかゆくなったり腫れ上がったりするのは身体の中の余分な熱が外へと出ようとしている=地球の熱が出口を求めて火山が噴火するのと同じ、など。
自然現象と同じやん!東洋医学ってシンプルやん!
と思えるようになったわけです。
ただし、東洋医学の病気のとらえ方はたしかにシンプルだな、と感じられましたが。
治療を施すのに必要な知識は決してシンプルなものではありません。
患者さんの発している、あらゆる情報を読み取る診察力、それらを的確に判断し、今の不調の原因を突き止める診断力、またその不調を整えるのに、ふさわしい治療を選択し、それを施す治療の技術が必要になります。
というわけで、やはり開業すると言う自信は相変わらず持てず。
そして開業について考えるとなんとなく気持ちが塞ぎ悶々とする日々は続きました。
自分の「おもしろい」を大切にするために鍼灸をやめる
もんもん、もんもん、し続けるうち、私はどうしてこんなに悶々とする方向ばかり見ているのだろうという想いが湧いてきました。
せっかく東洋医学の中に面白い。楽しいと思えることを見つけたのに、なぜもんもんしているのか。
そして気が付いたのは東洋医学を勉強する意義を
「鍼灸院を開業して今のしんどい仕事をやめること」
においているということでした。
それに気が付いた時、新たに沸き上がったのは
・・・なんか、もったいない。
という気持ちでした。
せっかく、長年勉強し続けた東洋医学の中に、自分がワクワク出来るものを見つけたのに。
「開業できるか出来ないか」
という物差しではかって、その自信が持てず、暗い気持ちになっている。
どうしてそうなっちゃうのかなぁ、と思った時。
勉強会に来ている他の鍼灸師さんの影響がすごく大きいことに気が付きました。
勉強会に来ている鍼灸師さんは、ほとんどんみんな「自分の治療院をもちたい」という志をもって勉強しています。
決して安くはないセミナー費用を払っているのは、
「自分で治療院を開業してお金を稼げるようになるため」
なわけなのです。
そんな共通の目標を持った人に囲まれていると、同じ目標を持つのが当たり前になります。
しかし、その目標は私が心からやりたいことではなく、「今の嫌な仕事をやめるため」という消極的な理由だった。
だから、開業の自信がつかず、今の仕事をやめるめどがたたないことで、悶々とするばかりで、せっかく芽生えた「東洋医学って面白い」という気持ちを育てることが出来なかったんだなぁと思いました。
ではどうしたらいいのか。
結局朱に交われば赤くなる、ということわざもあるくらい、人間は人の影響を受けやすい生き物。
少なくとも私はそういう性格だ、と自信を持って言えます(そこは自信がある)
このまま他の鍼灸師さんと共に、鍼灸の勉強会で東洋医学について学びつづけていても、おそらく同じことの繰り返しになる。
であるならば、もう、思い切って、長年通った勉強会をやめるしかない、という決断に至りました。
鍼灸の勉強会を辞めたことにより、
勉強会に払っていたセミナー費用、
勉強会に費やしていた時間
が新たに手に入りました。
それを使って何をやりたいか?
そしてやり始めたことが、古民家で鍼灸院を開くことへの大きな一歩になりました。
つづく
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