このたび古民家を無償でお借りすることができるようになりました。
時々、移住先を探していたら、突然家をもらえた、とか、無料でかりられた、なんて言うお話は、聞いたことがありました。でも完全に他人事だと思っていて、よっぽどラッキーな人なんだろうなぁと思っていました。
それがまさに自分の身の上に起ころうとは…。
私の身の上に起こるということは、他の皆さんにも起こるかもしれません。
何か参考になることがあるかもしれないので、私が古民家を無償でお借りできることになった頃について、記事にしていこうと思います。
今回、私に「古民家、つかってくれない?」とおっしゃっていただいた方は、私と同じ、「あるもので楽しくサバイバルできる知恵と技術を身につけよう」と言う理念で活動しているコミュニティーの同じメンバーさんです。
ということで、やっぱりこのコミュニティに入ることになった過程をふりかえらないと、どうしてこのような出会いにつながったか、はわからないので、ちょっと歴史を振り返ってみたいと思います。興味ある人だけ、読んでください(笑)
私はもともと、生き物が好きで、自然のままの景色がのこっている場所のほうが落ちつくタイプの人間でした。
大阪暮しが長い、とはいえ生まれは和歌山、大阪でも住んでいたのは北の端っこの箕面市。大阪のチベット、などと茶化される、市の7割が山、という自然豊かな町でした。
川で魚をとったり、団地の裏で虫取りをしたり出来る環境で育ったことが、大きく影響していると思います。
時はながれ、19歳の時に父が突然死、22歳から母が寝たきりになり、介護がしやすい家に転居することになりました。
箕面市よりは都会の吹田市、というところに引っ越し、私の中の田舎成分が不足したのか、いつのころからか「将来田舎暮らしがしたい」と思い始めていました。
とはいえ、そのころはまだまだ母の介護生活真っ最中。
田舎暮らしは「老後の夢」くらいの感覚でした。
そして母の介護をはじめて15年の時が流れ、転機がやってきます。
家の老朽化と、自分達の将来の生活設計のため、母を老人ホームに預け、一戸建てを購入し、自宅で姉の鍼灸院を開業することになりました。
このとき、私は住宅ローン、という多額の借金をしました。(姉は介護離職をしていたので、ローンが組めたのは私だけだったのです)
初めて〇千万、という額のお金を銀行から借り入れる、という体験。
この先35年にもわたって、毎月お金を返さなければいけない、利子も毎月かかる、という事態に、今まで感じたことのないプレッシャーを感じました。
私の仕事は訪問マッサージ、働いた分しかお金は入ってきません。
暑くても寒くても雨が降ってもバイクに乗って、患者さんのお家に行って、30分の施術をしてお一人あたりいくら、という金額しか入ってきません。
患者さんが入院したり、お亡くなりになったりすると、突然収入源が無くなってしまうこともしばしば。
勤め先がちいさな治療院だったので、社会保険もなく、国民年金と高額な国民健康保険をはらわなければならず、生活はあまり裕福とは言えない。
介護離職後、開業した姉には当然貯金もなく、老後の貯えもこの先していかなければならない。私自身、自分が鍼灸学校に行ったときに奨学金も借りており、その返済もしなければいけない。
もし、自分が病気になって働けなくなったら、どうなるのか。
とにかく元気なうちに早くお金をためて、繰り上げ返済をしないと!
と当時は相当な焦燥感におそわれていたような記憶があります。
もちろん、だからと言って、まったく遊ばずに貯金ばかりしていたわけではありませんが、お金を稼ぐということにたいしてとても貪欲でした。
毎日スケジュールいっぱいに患者さんを詰め込み、一時期は週休1.5日に減らし、年末年始も大晦日と年明けに3日休む程度、夏休みも3日くらい、ととにかく今と比べるとたくさん働いていました。
開業したての姉にも「早くもっと稼げるようになってよ!」と常にイライラいしていたような気がします。
お金に対する考え方で、人生ってすごく変わるんだなぁと、振り返ってみて実感。
続く
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