管理人・夏子の歴史

はじめまして。食べられる庭のある古民家鍼灸院・花咲実るの管理人中西夏子と申します

このたびは当ホームページに訪問いただきありがとうございます。

大阪府の北の端の方、茨木市にある古民家を家賃ほぼゼロ円でお借りし、食べられる庭をそだてながら、畑や田んぼのお手伝い、そして時に鍼灸マッサージの施術もご提供しています。

こんな奇跡のような場に、どうやってたどり着いたのか、管理人の半世紀の歴史についてご紹介させていただきます。

父の突然死と母の介護生活

私は今からウン十年前、和歌山県で生まれました。
家族は両親と姉一人の4人。

父は、私が生まれる前に小さな事業を立ち上げましたが、
私が幼稚園にあがるまでに、どうやら倒産(後から聞いた話)
ちょっとした借金を背負って、
大阪で再起をはかるべくタクシーの運転手になりました。
そのため、私が小学校に上がる少し前に、
家族で大阪で暮らし始めるようになりました。

大阪と言っても箕面(みのお)市、という北の端。とても自然豊かな環境で、虫取りしたり、川で魚をとったりするような幼少期をすごしました。

そのころの経験から、自然や生き物が大好きになりました。

しかし、その北の端から大阪市内に通勤し、タクシーの運転手として働く父。

より効率よく稼げるように、
と毎日15時から朝の3時までという仕事を週に6日間。
それ以外にも時々は工事現場なんかでも働いていたようです。

そんな無理がたたったのか、私が10代の終わり、
その父が59歳で突然亡くなりました。
その数年後、今度は母が、
脳の中で少しずつ大きくなっていたらしい腫瘍が原因で寝たきりに。

22歳から42歳までの20年にわたり
介護生活を送ることになりました。

姉妹二人、
父の代わりに家計を支え、
母の代わりに家事をこなし、
そして母の介護をする
そんな人生を歩んできました。 

介護生活をするため家も転居し、それまで住んでいた場所よりも自然との距離が遠くなりました。

いつか、田舎暮らしがしたいなぁ、なんて夢をおぼろげながら抱き始めましたが、なによりも優先すべきは母の介護と生活の維持、という時間が長く続きました。

鍼灸あんまマッサージ師の免許取得・理想と現実の壁〜120%の本気で大人に蹴られる日々

母の介護生活の中、
姉は介護離職をしました。
20代半ばで、介護離職した姉。
当時、母の治療に来てくれていた
鍼灸の先生が、将来を心配し、
在宅ワークも可能な鍼灸師になることを
姉にすすめてくれました。

姉はそのすすめに従い、
鍼灸師になりました。
さらに鍼灸専門学校の教員免許も取得。
鍼灸の「先生」と学校の「先生」と言われる身分に。

当時、高齢者デイサービスに努め介護職として働いていた私は

鍼灸師の資格➕教員資格

まで手に入れた姉が
うらやましくて仕方がありませんでした。

そして
「おねえちゃんだけ先生になるとか、ずるい!
わたしも学校行きたい!」

と、貯金をはたいて、さらに奨学金も借りて
鍼灸マッサージの専門学校に進学したのでした。

そんな理由でも
専門学校の入試をパスし、
国家試験もパスできて、
三療師
(鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師)
の免許を取得しました。

卒業後はすぐに訪問リハビリマッサージ専門の治療院で働きだしました。

ちなみに「訪問リハビリマッサージ」とは
医療保険を活用し、
患者様に鍼灸やマッサージ、
時には機能訓練(運動のサポート)
なんかもさせていただくお仕事です。

医療保険を活用するため、
患者様の負担は比較的安価ですが、
医療保険を使うには
「関節拘縮(かんせつこうしゅく)・筋麻痺(きんまひ)」
があることが条件。

関節が固まって動かないか、
筋肉が麻痺して動かないこと、
が前提なので、
必然的に患者様は在宅や施設で
介護を受けてらっしゃる高齢者の方に限定されます。

訪問マッサージ師という仕事を選んだ理由は、
専門学校に行く前に働いていた、
高齢者向けのデイサービスでの経験がもとになっています。

デイサービスでは多くの方に対応するために、
一人一人の方とのコミュニケーションを
丁寧にできませんでした。
そのため、お一人お一人の希望にこたえられらないし、
声の大きい人の意見を聞かざるを得ない
そんな局面にも良く遭遇していました。

訪問マッサージの仕事なら、
確実に一人の方としっかりと向き合い、
その人の希望に寄り添った仕事ができる、
と思ってその仕事を選びました。

最初のころは、
自宅で介護を受けながら生活している方に訪問し、
「日常生活を少しでも自立してすごしたい」
という希望を叶えるために
マッサージや運動のお手伝いを
させていただくことが多く、結構やりがいを感じていたのですが。

高齢化の波におされるように、認知症の方が増加。
訪問先も自宅ではなく、施設への訪問が大半を占めるようになりました。

施設の生活の中、
褥瘡(じょくそう、と読みます。いわゆる床ずれです)
ができないように、とか
着替えしやすいように、関節を固まらせないため、など
患者様の希望、というよりも、
施設のスタッフさんの希望が先に立ちます。

元気になってもらうため、
ではなく、残された時間、
介護を受けて暮らしていく中で
不都合がおこらないための、施術

そうなると、
患者様自身は
マッサージを受けることを、
楽しみにしてくれている方
ばかりではなくなります。

むしろ力いっぱい抵抗し、拒否。
険しい表情で、厳しい言葉を
投げつけられることもあります。
言葉だけでなく、120%の大人の本気の力で
叩かれる、蹴られる、かみつかれる、
なんて暴力を振るわれることも、
めずらしいことではありません。

嫌がっている患者さんを、
あの手この手で説得し、
なんとか当たり障りのない施術をする
何てこともしばしば。

お仕事を頂いている身で、
こんなことをいうのはだめかもしれないけど、
正直、気持ちは疲弊していきました。

楽しくやりがいが感じられることが
全くなくなったわけではないけれど
このお仕事だけでずーっと働いていくのは
ちょっとしんどいかもしれないなと思い。

いつか自分で治療院を開業できたら、と、
仕事をつづけながら、鍼灸の勉強会に通うようになりました。

鍼灸師として別の道を模索して、迷路で迷子

しかし鍼灸治療の世界は思った以上に幅広く、奥深く。
その診察法、診断法、治療の技術の習得は
途方もなく遠い道のりに感じられました。

そしていくら勉強会に通っても、毎日の仕事は
認知症患者さんへの施術。
勉強会で習ったことを実践する機会もなく
3年たっても5年たっても
「よし、これでやっていこう」
と思えるような自信もつかず、
だからといって、勉強会をやめる決心もつかず。

悶々とした時期を、過ごすことになったのでした。

迷路に見つけた一筋の光・東洋医学と自然のつながり

それでも、鍼灸の勉強をやめること=認知症の方へのリハビリの仕事しかしないという決断をすることもできず、 なんとなく鍼灸の勉強を続けていました。

鍼灸マッサージ師になって7年以上、いろいろな勉強会をたずねましたが、いろいろやるよりも、と2年間同じ先生のところで毎月勉強会にかようようになりました。

その先生のもと、徐々に、東洋医学のもとになっている「東洋哲学」の範疇の学びが入ってくると、東洋医学に対する考え方がすこし変わってきました。

東洋哲学の中に陰陽五行論(いんようごぎょうろん)という考え方があります。
すべての物は「陰と陽」にわけられ、また「木火土金水」の五行(ごぎょう)にわけられるという考え方です。

この陰陽五行論は東洋医学の基礎理論にもなっています。

人間の体や機能はすべて「陰と陽」に分けられ、また「木火土金水」の五行に分けられる、というわけです。

例えばお腹は「陰」背中は「陽」
内臓は肝臓が「木」心臓が「火」脾臓が「土」肺が「金」腎臓が「水」
という感じ。

…なんのこっちゃでしょう?
そう、このなんのこっちゃな理論をもとに治療を施すのが東洋医学なのです。

それゆえに奥が深すぎて、
わからんわー!
とヒステリーを起こし、悶々としがちな私でしたが。

東洋哲学としての「陰陽五行論」を学んだことにより、
その「陰と陽」「木火土金水」が象徴する事象が、人間の身体だけでなく、植物、動物の営み、国の盛衰、四季のめぐり、自然現象などなど、あらゆることに通じる、ということを学び、「え、なんか、おもしろい!」って思えるようになったんです。

あらゆることに通じる=
普遍の真理のシンプルさ、
みたいなものが垣間見えた、と言いますか。

もともと生き物・自然が好きだった、というのも大きな要因ですね。

その普遍のシンプルさでとらえると、体の中で問題を引き起こしている病気や症状もこんな感じでとらえることができるのです。

たとえば鼻水が止まらない事は、本来おしっこや汗として出すはずのものが、鼻からでてきている=下水管が詰まり、マンホールから水が吹き出してくる事象と同じ、ということや。

また皮膚にぶつぶつができてかゆくなったり腫れ上がったりするのは身体の中の余分な熱が外へと出ようとしている=地球の熱が出口を求めて火山が噴火するのと同じ、など。

自然現象と同じやん!東洋医学ってシンプルやん!
と思えるようになったわけです。

でもやっぱり難しい鍼灸治療・コロナ禍〜ダブルのストレスに突き動かされる

しかし東洋医学の病気のとらえ方はたしかにシンプルだな、と感じられましたが。
治療を施すのに必要な知識は決してシンプルなものではありません。
患者さんの発している、あらゆる情報を読み取る診察力、それらを的確に判断し、今の不調の原因を突き止める診断力、またその不調を整えるのに、ふさわしい治療を選択し、それを施す治療の技術が必要になります。

というわけで、やはり開業すると言う自信は相変わらず持てないままでした。

そんな日々を過ごしていたころ、新型コロナウィルスの影響で、行動が制限される状況に陥りました。

精神的なモヤモヤ、実質的な行動制限、という2重のストレス。

新型コロナ感染症が流行する2年前に母を亡くし20年にわたる介護生活は終わっていました。

「ようやくこれから自分のために時間を使える!」と思っていた矢先のタイミング。

そんな私にとって、コロナ禍での行動制限、そのストレスはとてつもなく大きく感じられました。

ストレスが大きいと、人間それに反発するように行動力がわいてくるもの。

長年憧れていた田舎暮らしをどうしてもやりたくて、感染の勢いが落ちついたタイミングで、

「他府県は無理でも、同じ大阪なら!」

と大阪府の里山にあるシェアハウスで、週末田舎暮らしに挑戦しました。

新たな道での出会いがもたらす新しい光

この中で今までの生活では知り合えなかった方々と知り合いました。
そこで初めて聞いた話で、私のそれまでの価値観は崩壊。
人生の転機はここにあったと言っても過言ではありません。

その中で鍼灸師としてとても印象に残ったお話があります。

里山ということで、周辺には農業に携わる方が多く
動物の害に悩まされていると言う話をよく耳にしました。

その中でも、深刻な被害を与えるイノシシ

でも、一見畑を掘り返し、荒らしているように見えるイノシシが、実は地下で滞った水脈をから発せられる何かを感知し、そこを掘り返すことによって、その土地の水脈の滞りを改善しているという説がある、と言うのです。

確かにイノシシは少し湿り気のある土地を掘り返します。
イノシシが掘った後は、どろどろになっているのが当たり前です。
その説もあながち嘘ではない、そう思いました。

「滞った水の流れを改善し、流れを良くする」

これって実は鍼灸が目指す治療の理論と、全く一緒なのです

鍼灸では、「体の中で滞った水の流れを改善するため」に、鍼を刺します。

えー!イノシシって、畑の鍼灸師やん!
と私は、畑とイノシシの関係にすごく興味がわきました。

それ以外にも、東洋医学の考え方である陰陽五行論(いんようごぎょうろん)は、農作物が芽吹き、成長し、収穫する過程を、大変わかりやすく説明できたりもします。

そもそも天地万物の理(ことわり)を説いた陰陽五行論

自然の中で育つ作物をいただく「農」との関わりはとても深いです。

今まで鍼灸の勉強でしか知らなかった陰陽五行論が、実際の環境ではどんな風になってるのか、見てみたい!と思いました。

でも、働きながら、鍼灸の勉強会にも行き、週末だけ車で1時間かかる里山に住む、という生活は永くは続きませんでした。

都会での日常の暮らしにもどって、鍼灸の勉強会に行けば、「治療院を開業できる自信がない」と暗い気持ちになっている。

せっかく東洋医学が面白い!と思えたのに相変わらず悶々とし続ける自分。ほとほと嫌気がさしてきます。

どうしてそうなっちゃうのかなぁ、と思った時。

勉強会に来ている他の鍼灸師さんの影響がすごく大きいことに気が付きました。

勉強会に来ている鍼灸師さんは、ほとんどみんな「自分の治療院をもちたい」という志をもって勉強しています。
決して安くはないセミナー費用を払っているのは、
「自分で治療院を開業してお金を稼げるようになるため」
なわけなのです。

そんな共通の目標を持った人に囲まれていると、同じ目標を持つのが当たり前になります。
しかし、その目標は私が心からやりたいことではなく、「今の嫌な仕事をやめるため」という消極的な理由だった。

だから、開業の自信がつかず、今の仕事をやめるめどがたたないことで、悶々とするばかりで、せっかく芽生えた「東洋医学って面白い」という気持ちを育てることが出来なかったんだなぁと思いました。

ではどうしたらいいのか。

結局朱に交われば赤くなる、ということわざもあるくらい、人間は人の影響を受けやすい生き物。
少なくとも私はそういう性格だ、と自信を持って言えます(そこは自信がある)

このまま他の鍼灸師さんと共に、鍼灸の勉強会で東洋医学について学びつづけていても、おそらく同じことの繰り返しになる。
であるならば、もう、思い切って、長年通った勉強会をやめるしかない、という決断に至りました。

米作りを学び、さらなる新たな世界と出会う

鍼灸の勉強会をやめて、空いた時間と浮いたお金を使って何をするか。

向かう先は決まっていました。

週末田舎暮らしはあきらめましたが、そこで折角できたご縁を断ちたくなかったのです。

そこでシェアハウスで知り合った方のつてを頼りに、お米を育て、収穫するサークル活動に参加しました。

そして、そこでの学びで、また新たな衝撃的をうけることになったのです。

現代の農業では、F1種と言う品種改良を重ねた作物が作られており、自然にその作物から取れた種を使っても植えても同じ野菜はできないこと(毎年種を買わないといけない)

その種を作るために、全く雄しべのない花(花粉がない)を人工的に作りだし(これって動物だったら無精子ってことです)その花の雌しべに、また人工的に品種改良した花の花粉をつけて種をとっていること。

また、長年化学肥料や農薬を使っている畑では、土の中の有機物を分解し、植物にとって大切な微量元素(ミネラル)を供給してくれる細菌が死滅してしまい、植物は化学肥料からの栄養だけで育つこと。
そのため昔ながらの野菜と比べて、野菜の栄養価が下がっていると言う事

などなど。

これらの話を学ぶにつけ、今の世の中の「農業」に違和感を感じるようになっていきました。

もちろん、品種改良や、化学肥料、農薬のおかげで、私達は安定して毎日食べる野菜をスーパーで買うことができている、ので安易な批判はするべきではありません。

ただ、野菜の栄養価が下がっていることにより影で進行している栄養不足や、農薬や化学肥料によって、身体に取り込まれ続ける化学物質によって、健康問題が生じている可能性は否定できず。
末端とはいえ医療に携わる身でありながら、あまりに無知だったことに衝撃をうけました

それ以外にも、近年ふえている、という発達障害や、精神疾患との関連も指摘されている農薬があること。
海外では使用を禁じられたその農薬が、日本ではつかわれつづけている事実や。

ミツバチがいなくなる事件
化学肥料に使われているプラスチックがマイクロプラスチックとなって、海に流れて出て海の生態系も破壊していることや。
肥料から発生する窒素化合物を含むガスが実は二酸化炭素よりも恐ろしい温暖化をもたらすこと、などなど。

今の農業のありかたが、地球全体の環境にも少なからず影響を与えていることを知るにつけ。

うーん、うーーん、これって、このままでいいんかな?
もうちょっと、みんなが知って、食べるものを選ぶときに少し考えるようになったら、農業のあり方自体、変わるんじゃないのかな?

でも、これって普通に生活してると、全然つたわってこないよね。
だって、自分も知らんかったし。

どうやったら、もっとたくさんの人がこの事実を知ることができるんだろう。私にできることってないのかな?

と言う思いが芽生えてきました。

持続可能な暮らし方を模索し始める

持続可能ではない農業のあり方に疑問を抱くようになった結果、そもそも持続可能な暮らし方ってどんなの?と言う疑問も湧いてきました。

持続可能な暮らし方について調べるうち、パーマカルチャー研究所と言うブログに行き当たりました。

パーマカルチャーとは
パーマネントアグリカルチャー
持続可能な農業
という言葉から、作り出された造語だそうです。

おお!これまさにこれ!
と思い、そのブログからメールマガジンに登録。

でも、そのメールマガジンで語られていたのは
持続可能な農業の話ではありませんでした

メルマガ発信者の三栗祐己さんが提唱されていたのは
「遊暮働学」
という暮らし方。

遊び自体が暮しで労働で学び

ということです。

具体的に言うと

パンを作るのが楽しい人にとっては

パン作りは遊びでもあり
食べるものを作る労働であり
パンの作り方の学びであり
それが暮らしそのものである

という感じ。

そして、みんながそうやって自分の「やりたい」ことをやって
遊んで働いて学んでいれば暮らしは回っていく
=持続可能な暮らし方

…なんか、ちょっと思ってたパーマカルチャーと違うけど
…なんか、おもしろいなぁ、と思い。

三栗さん主催のパーマカルチャーオンラインスクールに入ってみることにしました。

協生農法との出会い

そのスクールで、「協生農法」という、
果樹を植え、たくさんの野菜の種を蒔き、
耕しもせず、肥料もあたえず、農薬もつかわず
家族4人と虫と鳥が食べていけるだけの恵みを得られる
「食べられる森」を6年かけて作り上げた
モリテツさん、という方に出会いました。

実際「食べられる森」に行ってみると
そこは本当に「畑」ではなく、「森」でした。
といっても、まだつくりはじめて6年ですから
木漏れ日がふりそそぐ、いわゆる「森林」という感じではありません。

どこが「森」なのか、というと。
そこでは、人間の作物を奪いに来る「害虫」「害獣」は存在せず。
皆がそれぞれ、生きているだけで、それぞれの役割を果たし、
その「森」を成立させている。

普通の森、とちがうのは
人間が適切な時期に種を蒔き、ときどき自分の通る道の草を刈り取る。
そして、その中でその恵みを食べる分だけ収穫し、
次の残すための種を採る
それだけです。

みんなが協力して生きているから協生農法
まさに持続可能な農、の在り方でした。

すごいすごいすごーい!
私もやってみたい!そんな森をつくってみたい!

その森にみんなを招待して、
農薬も、肥料もなくても、
こうやって食べ物を作れるんだよ
ってことを知らせたい。

そして、そうやってできた食べ物を食べていれば
健康問題を引き起こしてしまうかもしれない
化学物質を体にとりこまなくてよくなって
もっと元気でいられること
も知らせたい。

そんな農業をやる人が増えたら、
環境問題も解決できるかもってことも知らせたい。

そんな風に思うようになりました。

夢は夢としてやれることをやった結果、奇跡のような出会いに恵まれる

だけど、私には土地がない。
自分の土地がないと
果樹は植えられない
果樹が植えられないと
森はつくれない

ない、ない、ない、ないない尽くしです。

といって、腐っていてもしかたないので、
自分なりに持続可能な暮らし方に近づけるように
「あるもので楽しくサバイバルできる技術や知識を身に着けよう」
という目的で活動しているサークルに参加してみました。

同じ目的をもって集まっている人がたくさんいるそのコミュニティ。
普通の友達とは話さないようなことにも自然と花が咲き

「私、鍼灸マッサージ師なんですけど。そんなすごい治療はできなくて。でもね、しんどいなぁ、鍼して、マッサージして、って来てくれた人に、身体のためには食べるものって大事だよ~、どんなものを食べるかってことをもっと考えてほしいだよ~って伝えられるようなね、治療院とかできたらいいなぁとかね、思ってるんですよ」
と、甚だ、ふわーっとした夢を語ったりするようになっていました。

するとある日そのサークルのお仲間であるご夫妻から

「夏子さん、私達、畑と田んぼを買ったんだけどね。
それにね、古い家がついてるの。
夏子さんがね、いつも話してる治療院に
使えたりしない?
家賃はいらないから」

とお声掛けがあったのです

え?
え?
え?
えーーーー!?

マジですか?家賃0円とかテレビの世界だけかと思ってたけど。
マジであるんですか?

しかも、
「田んぼも畑もいっしょにやりましょうね
お庭は自由につかってくれていいよ
果樹をうえたいんだったらそれも
やりましょう」
とのお言葉。

…もう、この話、お受けしない理由が見つかりません。

与えらた場所で伝えたいこと

「開業して食べていける自信」がなかった私ですが。
あれから時を重ね、考え方が変わりました。

私の施術でも十分喜んでくれる人はいる
実際よろこんでくれている患者さんがいる
食べていけるかどうか、はおいといて、
よろこんでくれる人に来てもらえるような治療院をつくればいいんだ

今はそう思っています。

病院に行くほどでもない、行ってもたぶん変わらない
そんな不調を抱えたまま何となくしんどい身体のまま過ごしている人が

その不調を少しでも改善して

好きな仕事に打ち込んだり
大切な人との休日をたのしんだり、
大好きな趣味を思い切り楽しめたり

そんな生活ができるようなお手伝いをさせていただきたい。

そして鍼灸マッサージの
施術だけではなく、食べられる庭、や畑、田んぼなど、普段の生活では触れることのない他の生き物たちとの触れ合いの中でも、元気をとりもどしていただける、こんな貴重な環境を兼ね備えた古民家に多くの人にきてもらいたいと思っています。

あなたがお越しくださるのを心よりお待ちしています。